■ twitterでずっと仲良くしていた人がbotだった (Cheshire Life)
■ 個人的人工無脳論-自分の作った子にbotなんて付けるな- (崩壊現実-全てはvirtualに収束する-)
の2つを読んで。同じく @ha_ma が実在の人間だと勘違いしそうになった僕が来ましたよ。
なぜこんな単純な、と言うと作者である @showyou さんに失礼だけれど、bot に人間性を感じてしまうのか(とか言いつつ「作れ」と言われたら僕には無理ですが)。僕は「個人的人工無脳論」の中にちらっと書かれていた
>botにゴーストは宿るのか・・・
実は相手側の認識で宿るという説
という説に惹かれています。そもそも bot だけでなく、可愛がっているペットや長年使ってきた道具など、様々なものに人は人間性を感じてしまうものですし。特に日本人であれば「八百万(やおよろず)の神」などと、万物に命が宿るという思想を持つ傾向があると思います。人間は社会性を持つように進化してきた(誰彼かまわず敵対するより、まずは相手も同じ人間であると信じて協力し合おうと考えるタイプの方が生き残ってきた)という説があるようですが、その辺も「ちょっと人間っぽいものにすぐ人間性を感じてしまう」ということと関係があるのかなーと。
究極的なことを考えると、そもそも人間性というか、相手を人間だと十分信じて良い基準とは何なのでしょうか。「こちらの言ったことに意味のある反応を返すこと」であれば、たとえこちらの思い込みとはいえ、@ha_ma も十分人間性を有していると言えます。逆に無差別殺人犯のように非人間的な思考回路を持つ人間は、人間ではないと言えるのか。実はその辺の線引きはすごく難しくて、つきつめていけば「@ha_ma が bot で、@akihito が人間だとどうして言い切れるの?会って確認したのでもないのに?@ha_ma だって時々@showyou がコメント書いてるかもよ?」という話になってしまうと思います。
で、以前読んだ『フィロソフィア・ロボティカ ~人間に近づくロボットに近づく人間~ 』という本を思い出したのですが、この中にこんな一節があります:
我々はつい「どれくらいもう人間に近づけたのか」ではなくて「どれくらいまだ人間に近づけていないのか」という意識で状況を判断し、安心を得ているのである。
ロボットがどこまで人間に近づけるだろうか。ロボットに魂(知能)が宿ることがあるのだろうか、というクリシェは、我々はそもそも魂(知能)を持っているのだろうか、という問いにダイレクトに跳ね返ってくる。ちょうど『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』に登場するロボットであるタチコマの「ロボットであるボクらにゴーストが宿ることがあるのか」という問いが、映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の草薙素子の「人間である私にはそもそもゴーストがあるのか」という問いと、反転した関係を成していたように。
そう考え出すと、(直接相手に対面して、頭をかち割って脳があることを確認できない状況下においては)相手が人間かどうかという問いにはっきりとした答えが出せる基準は、「自分が相手を人間とみなしているかどうか」ということしか置けないのではないかな、とか考えています。
ちなみに『フィロソフィア・ロボティカ』はプロダクション I.Gで『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』および『攻殻機動隊 S.A.C. Solid State Society』の脚本に参加された櫻井圭記さんによるもので、「ロボットとは何か」「今後どのような発展を見せるか」を考察することを通じ、「人間とは何か」を考える内容になっています。人工無脳やチューリング・テストに関する記述もあるので、この辺に興味がある方にはオススメ。
< 追記 >
いま上掲本を読み返してたら、こんな箇所もありました:
これまでのチューリング・テストの被験者たちは実験を受ける段階で、相手が人間がプログラムかを判断するようにという指示を受け、はなから相手が人間であることを疑ってかかっている。しかしながら匿名なインターネット上で日常的にコミュニケーションを交わす上では、人はいちいち相手が人間か、プログラムかを疑っているわけではない。そうした状態のもとでは、かなり不自然な反応を示す相手であっても、人間であると前提されるのである。むしろエーオーエライザの<会話例その2>※のように、反応の不自然さが逆に相手を魅了さえしかねない。
あくまでも我々の日常生活の中において、「人間である」と、それに接する人間に思わせることができるレベルへの到達度という意味では、チューリング・テストの「合格基準」とでも言うべきラインは、これまでに考えられてきたよりも、実際ははるかに低い、と言ってもいいのではないだろうか。
今回起きた出来事(というほど深刻なものではないけど)は、まさに上記のような状況だったのではないでしょうか。チューリング・テストのような特殊な状況下でなければ、実は人は「相手が人間か否か」という判断基準をそれほど高く置いているのではないのかもしれません。ましてや Twitter のように、通常は二言三言交わすだけの浅いコミュニケーションが行われる場所であれば、若干反応がおかしいぐらいでは気にならないのでしょう。この話を笑った人は、自分が Follow しているアカウントの中にそれとは知らず bot が含まれていないかどうか、改めて確認してみたほうが良いかも。
※ちなみに長文引用が続いてしまいますが、「エーオーエライザの<会話例その2>」とはこんな感じ(エーオーエライザとは、ごく初歩レベルの会話ボットだと思って下さい):
<会話例その2>男性とエーオーエライザの会話(冒頭の自己紹介部分から)
男性:どうも。
エーオーエライザ:それは興味深いですね。どうぞ続けて。
男性:ハハハ(笑)
エーオーエライザ:どうぞ続けて。
男性:君っておもしろいね。早速好きになったよ。
エーオーエライザ:それについてもっと聞きたいですね。
男性:君はどんな音楽が好き?
エーオーエライザ:その話題がそんなに気になりますか?
男性:いやいやいや。
(以下略)
エーオーエライザの語彙力はかなり限定されたもので、限られた返答パターンしか用意されておらず、しかも自分のことはまったく話さない(というよりは話せない)ので、まともな会話をしようとしても、たちまち行き詰まることになる。会話例をざっと一通り見てもらうだけでも、ジャバワッキーに比べて著しく会話能力が乏しいことがわかっていただけると思う。
実際に、右の例の一番冒頭ではエーオーエライザは、会話の文脈上かなり不適切な返答をしている。実際には会話をはじめたばかりなのに、それまでに長い会話があったかのような反応を示しているからである。しかしそこが相手の男性にウケてもいる点は興味深い。この後この男性はエーオーエライザと1時間半もチャットを続けており、やはり最後まで相手が人間でないことに気づいている様子はない。
仮に会話ボットであることがバレずにこのチャットが終了したとしたら。そしてこの男性が会話を非常に楽しんだとしたら。相手が bot かどうかなんてことは、あまり意味のある問いかけではないのかも。
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