CNet Japanに、O'Reilly Networkに掲載された"What Is Web 2.0"という論文の日本語訳が掲載されていました。Web 2.0という言葉を作った張本人のO'Reilly自らが語る「Web 2.0とは」。
Web 2.0:次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル(前編) (CNet Japan)
前編だけでしたので、原文を確認しようと思ったら、プリントアウトでA4用紙16枚分にもなりました。というわけで日本語訳しか読んでいないのですが、2点気になる部分があったので書いておきます。
Web 2.0サービスは企業として優れているか?
論文では、Web 1.0企業に対してWeb 2.0企業がいかに優れているか、具体例を挙げて解説されています。しかしとどのつまり、「数多くのユーザーが参加し、サービスを改善してくれる」という点に集約されているような印象を受けました。例えば文中で「参加のアーキテクチャ」と題し、「Web 2.0企業はユーザーがアプリケーションを利用することによって、副次的にユーザーのデータを収集し、アプリケーションの価値が高まる仕組みを構築した」と解説されています。
確かにこの点はWeb 2.0系サービスの優れたところだと思います。他のユーザーの知識や意見、また彼らが作ったコンテンツなどを簡単にシェアすることができるため、ユーザー自身がそのアプリケーションの価値の一部となり、さらに他のユーザーを引き付けます。しかしそれはサービスが優れているというだけであって、企業としての競争力があるというわけではありません。
ここで言う競争力には2つの意味があります。1つ同じようなサービスを展開してきた企業に対する競争力で、もう1つは「お金を請求できる力があるか」という意味です。前者については、Web 2.0企業の多くが「Mashup」という形で第3者のサービスに依存していたり、AJAXのような習得が容易な技術(と言いつつ僕はABAPしか分かりませんが)でサービスを構築していることから、競合他社との差別性を打ち出しにくい---従って競争力を持ちにくいことは明らかです。
後者についてはさらに深刻です。Web 2.0サービスの真髄が多くの参加者によって価値を高めることにあるのなら、ユーザーからお金を取るのは自殺行為です。ではどこからお金をもらうのかと言えば、現状では広告収入しかないというのが現実でしょう。広告収入が悪いというわけではありませんが、いつまでも・どの分野でも汎用的に頼ることができるモデルではないのではないか、というのが僕の印象です。
広告収入への依存という点についてはもっと考えなくてはいけませんが、少なくともWeb 2.0企業が1.0企業に対して「ビジネスモデルの点で優れている」とは、必ずしも言えないと思います。
集合知は「英知」となるか?
もう1つ気になった点があります。それは5ページ目のこの部分:
また、ブログ・コミュ ニティはきわめて自己言及的であるため、ブロガーが他のブロガーに注目する ことで、ブロガーの存在感と力は増幅していく。しばしば「反響室」と批判さ れるブログは、増幅器でもあるのだ。
もっとも、単なる増幅器であったなら、ブログはつまらないものになってい ただろう。しかし、Wikipediaが体現しているように、ブログでは集合知が一 種のフィルターの役割を果たしている。James Surioweckiが「群衆の英知」と 呼んだものが働き、PageRankが個々の文書を分析するよりも優れた検索結果を 生み出したように、ブログスフィアではユーザー全体の注目が、価値あるもの を選び出す。
この点については、これまでも記事で書いたことがありますが(「イントラブログと集団成極化」や「Re: センセーショナリズム」など)、必ずしも集合知が「群集の英知」となるわけではないと思います。サイバーカスケードなどの現象が端的に現しているように、集団で集まった結果、意見が極端な方向に振れてしまう危険もあります。
集合知がフィルターとなるか、それとも過激な意見の増幅器となるか。それを左右する要素を見極め、コントロールする方法を考えることが、Web 2.0に携わっている人々に求められているのではないでしょうか。
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