梅田望夫さんの『ウェブ進化論』を読み終えました。前の記事でも書いた通り、現在と未来のWEBの姿を、独自の切り口から解説されています。新書サイズということに加え、話の進め方が論理的なので、さっと読むことができますよ。時間が無いという方も、この1冊だけは是非↓
と、梅田さんの言うところの「ネット上の自分の分身」に稼がせる仕組みを置いたところで本題。実は梅田さんの本と一緒に、ユニバーサル・デザインに関する本を買いました↓
この本を買ったのは、WEBサービスのインターフェースを考える際に参考になるのではないか?という思いからでした。もちろんWEBサイトのインターフェースを解説する本は星の数ほどあるのですが、「WEBサイト」という限られた空間ではなく、ユーザーの生活全体を念頭に置いてインターフェースをデザインすることができないか、その手助けとしてユニバーサル・デザイン(以下UD)の考え方が参考にできないか、と考えたのです(ちょっと論理が飛躍していますが)。
UDに少しだけ触れて関心したことは、それが「全ての人」に対して使ってもらうことを徹底的に追求している点です。もちろん商品であれば、必ずターゲット・ユーザーというものが存在しています。しかし「ターゲットユーザーに受けるためのデザイン」がある一方で、「実際にその商品/サービスを使うことになった人が誰であれ、全ての人が使いやすいと思わせるためのデザイン」がUD、と言えるでしょうか。
WEBの世界には、まだまだUDの考え方は取り入れられていないように感じます。特にWeb2.0系のサービスでは、ターゲットユーザー(もっぱら若者)に使ってもらうことは想定するものの、「老若男女、誰でも使える」という発想でデザインされているサービスはごく僅かなのではないでしょうか。もちろん梅田さんのような、「あちら側」と「こちら側」を結ぼうとされている人はたくさんいらっしゃいます。しかしWeb 2.0のサービスを見ると、「これがこれからのスタンダードだ、俺達に従え」と無言で威圧しているように感じることがあるのです。
「クルマを運転できない人は、電車やバスを利用すればいい」という程度の問題ならば、Web 2.0に参加する人/しない人の差は放っておいても良いでしょう。しかし問題なのは、Web 2.0の世界が圧倒的な利益を生み出しつつあるという点です。特にWeb 2.0は「集合知(Wisdom of Crowds)」を利用するサービスを次々生み出しており、知識・知恵が生み出される速度が加速度的に高まっています(ちなみに『ウェブ進化論』では「学習の高速道路化」という言葉が出てきます)。「クルマが運転できない人は、田舎に行くと苦労する」などといった苦労の何十倍もの損失を、Web 2.0に参加できない人は被ることになりかねません。
だからこそ、Web 2.0のサービスには、「誰でも参加できる、誰でも利用できる」というUDの発想を強く持っている必要があるのではないでしょうか。サービスの参加者が多くなることは、サービス自体の価値を高めることにもなるはずです。その点でWeb 2.0とUDは、非常に親和性が高いものだと思います。
デジタル・ディバイドは以前からも指摘されてきた問題ですが、Web 2.0の時代、それがさらに悪化しかねません。梅田さんはWeb 2.0の本質を「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」と捉えていられます。であるならば「不特定多数≠デジタル技術に精通した人々」という考え方の下に、サービスが開発されていって欲しいと思います。
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