たまたまですが、2日続けて「プロフ」に関する記事を目にしました:
■ 【気になるトレンド用語】女子中高生に人気の"プロフ"その光と闇 (livedoor ニュース)
■ 「プロフ」はもうかるビジネスか 流行った理由は「誰も分からない」 (ITmedia News)
特に ITmedia の記事の方は、タイトルのインパクトもあって話題になっているようですね。僕もその存在と、流行中であるということだけは知っていたのですが、個人的に試してみたことはありませんでした。で、「書きたければ参加してから書こう」の精神のもと、自分でも「前略プロフィール」に参加した上で感じたことを。
ITmedia の記事で最初に「面白いな」と思ったのは以下の部分:
SNSと違い、「足あと」など個人間をつなぐような仕組みは何もない。会員同士がサイト内を検索し、見つけた相手の掲示板に書き込みでもしなければ、互いのやりとりは発生すらしないのである。
確かに「前略プロフィール」は非常にシンプルなサイトで、ユーザー間のコミュニケーションを促進するような仕掛けはほとんどありません。トップページにある「フリーワード検索」で誰かを探すか、個別のメニューにある「アドレスを教える」で個人プロフのURLをメール送信できるぐらい。また記事で登場する「掲示板」機能も、デフォルトではOFFになっています(「設置する」を選択しないと設置されない)。
従って「なぜ(プロフという仕組み全体ではなく)『前略プロフィール』が流行したのか」を考えたとき、「SNSが流行しているのと同じ理由ではないか」と考えてしまうのは早そうです。SNS的な交流を求めるのであれば、既に存在している「モバゲータウン」などの携帯SNSに行けばいいわけですから。ただし既存SNSのプロフィール機能を補うために使われている、という見方は可能かもしれません)が。
そこでふと思い出したのが、以前読んだ"Everything Is Miscellaneous: The Power of the New Digital Disorder"に登場する以下の一節:
Too see what's underneath the play of the implicit and explicit, try to fill out a profile at Friendster, one of the first sites that let people create and expand their social networks online. The profile is typical, asking members to list their "hobbies and interests" so they can matched with others.
「潜在」と「顕在」の裏側を理解したければ、Friendster のプロフィールを作成してみるといい。Friendster は、ソーシャルネットワークをオンラインで形成することを可能にするサイトの先駆けである。そのプロフィール欄は典型的なもので、ユーザーに「趣味/興味があるもの」などを挙げさせる仕組みになっている。そうすることで、気が合うユーザーを探せるわけだ。
そして実際にプロフィールを作成していくのですが、ここで「それってやっちゃうよねー」という行動が描写されます。それは「つまらない人と思われないように、趣味には『テレビ』を入れなかった」というもの。そうそう、プロフィールは「他人に見られること」を前提として作成してしまいますよね。
My list of interests at Friendster isn't really a list of my interests. It's a complex social artifact that results from my goals, self-image, and anticipations of how other people will interpret my list. A frank discussion of how a person constructed her list would tell us more about that person than the list itself does.
私が Friendster で作成した「趣味のリスト」は、本当の「趣味のリスト」ではない。それは「自分の目的は何か」「自分自身をどうイメージしているか」「他人がこのリストを見てどう思うか」などといった考えが複雑にからみあってできた、不自然な結果だ。リストそのものよりも、どうやってそのリストを作ったかということを尋ねる方が、その人物を深く知ることになるだろう。
ここで、「前略プロフィール」を思い返してみます。「前略プロフィール」はSNSとは違い、他人との交流が促進される仕組みになっていません。従って自分で積極的にアピールしない限り、作成したプロフィールが誰かの目に触れることはほとんどないでしょう。ということは、SNSのプロフィールよりも自然な自分を出せる可能性が高まります。出来上がったものを見て「恥ずかしい」と思えば、URLを教えなければいいのですから。そこではより、「プロフィールを作る」という作業そのものの楽しさを味わうことができるのではないでしょうか。
僕が先ほど作成したプロフは、このブログで公開することを前提として考えたため、いくつもの項目を端折っています。しかし「誰にも見つからない、知って欲しい人だけに教えることができる」という状態であれば、もっと多くの項目に正直な気持ちを書き込んでいたんじゃないかな、と感じました。「バトン」に答えるのと同じ楽しさですが、より楽に書き込める感じでしょうか。
ということで、「前略プロフィール」が流行ったのは、SNS的な「交流」という要素が少なかったことにも一因があるのではと感じました。逆説的ですが。しかし「Mixi 疲れ」のように、SNSの問題点として指摘されることって、けっこう「他人とどう付き合うか」っていう部分ですよね(こんな関連記事もありました。やっぱり足跡に対する嫌悪感や、「本音を書きづらい」なんて意見が見られます)。SNSから「交流というかったるい部分」を取り除いたのがプロフなのかな、というのが現時点での感想です。
まぁ、女子高生の世界なんて1~2時間の考察で理解できるものではありませんが……
コドモの気持ちをつかめるオトナが現れたとき、プロフは真価を発揮するに違いない。
いや、掴んだときには別の何かに関心が移っていると思います。
最近のコメント