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2008/08/12

コメント

nosix

はじめまして、いつも興味深く拝見させて頂いています。

読んでいて思ったことをコメントさせて頂きます。ちょっと長くなってしまいました、すみません。

> 昔から続いている「常識」を無批判に受け入れている、といったところでしょうか。新聞は中立で、特定の視点から報道してはいけない。新聞は「主張」ではなく「事実」を伝えなければならない。

「常識」を無批判に受け入れていないかどうかという視点、私も大切だと思います。

> しかし新聞がジャーナリズムからはほど遠い状態にあるのであれば、彼らに期待するのは止めて、別の道を探そうという方向性に議論が向かっても良いように思うのです。

そうですね。新聞がやりたくないことであれば、他でやればいいことだと私も思います。

さらに私が思ったのは、「新聞は中立であるべきだ」と言う人は「自分の意見を聞いて欲しい」と思っている人とも考えられるのではないか?ということです。中立的であるべきとは、客観的であるべきということなのかと思います。中立的ではない新聞、つまり主観的な意見を述べている新聞に対して、意見を押し付けられているように無意識的に感じているのではないか。

ちょっと話が変わりますが、「他人の意見を受け入れるのが苦手な人」が世の中にはいると思います。以前の私がそうでした。他人の意見に対して、意見を押し付けられているような感じ、自分の意見が否定されているような感じがしていたのです。そのように自分が攻撃されている感じがするので、他人の意見を批判して、他人を攻撃していました。自分を必死に守ろうとしていたんですね。

もうこれ以上他人の意見なんか聞きたくない、自分の意見を聞いて欲しい、認めて欲しいという人ほど批判的な行動にでるのではないか、主観の含まれない「中立的な新聞」を求めるのではないかと思います。

netdedo

はじめまして、いつも興味深く拝見させて頂いています。

日本のジャーナリズムに中立が求められる理由は簡単です。それは世界稀に見る閉鎖性故です。再販制度、クロスオーナーシップ、記者クラブ、電波法等です。いわば一つの情報統制が行われてるわけですから情報は中立を求められるのが当然です。ネットの台頭といって新たな情報発信元が出てきてここまでうろたえてるのは日本のマスコミ位です。

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