情報は「物語」の形式にすると伝わりやすく、しかも覚えてもらいやすい。どこかでそんなセオリーを耳にしたことがある方も多いと思いますが、では物語を話した「相手」についてはどうか?を調査した研究結果が出ているそうです:
■ Story? Unforgettable. The Audience? Often Not (New York Times)
その結果は……物語を話した「相手」は記憶に残りにくいですよ、と何とも当然の結果なのですが(だからタイトルのような例がよく起きるわけですね)、科学的に証明されたのであれば安心したという方もいるのではないでしょうか(笑)。ええ、僕もその一人ですが何か?
“You hear people of all ages, not just elderly people, say, ‘Stop me if I’ve told you this before,’ ” said Nigel Gopie, a postdoctoral fellow at the Rotman Research Institute, in Toronto, who has a paper in the current issue of the journal on these memory lapses.
“We often have a hard time remembering who we told things to, and clearly it starts early.”
「お年寄りだけでなく、あらゆる世代の人々が『この話、前にもしたことがあったら途中で止めてね』と言うのを聞いたことがあるのではないでしょうか」と Nigel Gopie は語る。彼はトロントにある Rotman Research Institute という機関のポスドクで、最新号の the journal Psychological Science 誌でこの物忘れ現象に関する論文を書いている。
「誰に話をしたのか、思い出せなくなるということが若い頃から始まります」
とのこと。というわけで明日この話を同じ人にしても安心ですね!
しかし問題は、なぜ「物語」や「誰からそれを聞いたのか」ということは覚えていられるのに、「誰にそれを話したのか」が比較的覚えにくいのか、という点ですが。それについてはこんな解説がされています:
This makes sense, psychologists say, given what is known about attention: namely, that it is finite. A person who is conveying information, even trivial facts, will devote some mental resources to monitoring what is being said. Self-absorption is also a factor.
心理学者たちは、「人間が払うことのできる注意が有限であることを考えれば、この現象は理に叶っている」と主張する。たとえ話の内容がたわいもないものであっても、それを伝えるためには脳内の資源をある程度使わなければならない。また自己陶酔ももう1つの要素だ。
自己陶酔について、引用部分だけでは説明が不足してしまいましたが、要は自分のことについて話している時にはより話の内容に注意が向きやすくなるという傾向があるそうです。あらゆることに注意を向けるわけにはいかないし、しかも自分のことについて話すのならそれに最大限のリソースを割きたい。結果、「誰に話したのか」という(比較的)重要でない要素は記憶に残りにくくなる、というわけですね。
個人的には、あえて人間は「誰に」を忘れやすくすることで、重要な話が確実に伝わるようにしているのかななどという想像をしています。ともあれ、同じ話を何回もするなーという人に対しても、明日から優しくしてあげるようにしましょう!
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