を読んで。人がブクマする理由は「後でその情報を再利用するため」とは限らないと思うんだけど(ちょっと前にそんなエントリを書きました)、とりあえず「コメントするためにブクマする」といった利用法は除外するという前提で少し。
確かに後先考えず、人気エントリを「人気だから」という理由だけでブクマしてしまうことがあります(古い記事ですが、「7割は見ないでブクマ」なんて話もあるし)。「あとで読む」つもりで読まないことも。けど、それってソーシャルブックマークに限った話じゃないんじゃないかなぁ。
昔から「積ん読」なんて言葉があって、本の世界でも「見ただけ」「手にしただけ」「買っただけ」で勉強した気分になる、って話がありました。役に立ちそうな情報の近くに来ただけで安心してしまうっていうのは、ソーシャルブックマークの世界で初めて出てきた態度ではないでしょう。もちろんだからと言って、改めなくて良いわけではないですが(読もうと思ったものを読めるかどうかが、結果を残す人とそうでない人の違いの一つかも)。
ただ1つ言えるとすれば、ネット時代になってその流れが強まった、ということはあるのかも。『クーリエ ジャポン』の9月号にニコラス・カーの論文が邦訳されているのですが(関連記事)、そこで彼は「人々はより手短に・効率的に情報を手に入れようとする傾向を強めているのではないか」と主張しています。まさしくネットサーフィンのような、大量のサイトをザザッとブラウジングしていくようなスタイルですね。2~3行読んで面白そうだったらブクマ等で記録(会社だったら「とりあえずプリントアウト」という場合も多いかも)、あるいは中身を一切見なくても「他の人も読んでいる」記事ならばチェックしておき、1時間ぐらいで「あ~、なんか今日ははかどったんじゃね?」という気分になる――個人的な話で恐縮ですが、大学で卒論書いてた時代と比べると、「1つの本や記事を集中して読み込む」という時間は確実に少なくなったと思います。
もちろんネットがあったからこそ情報が手に入ったという場合もあるわけで、ネットやブクマが一方的に人間をバカにするということはないでしょう。しかし気をつけていなければ、ネットは壮大な「積ん読生成マシーン」になってしまうのかもしれないなぁ、と思ってみたり。
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