あなたは大切な商談のために、取引先のオフィスに向かった。先方に伺うのはこれが初めてだ。オフィスがあるビルに到着し、あなたはエレベーターの「上」ボタンを押した。周囲にはあなたと同じように、10名ほどの人々が上階行きのエレベーターを待っている。しばらくするとエレベーターが到着し、扉が開いた。待っていた人々が乗り込んで行く。あなたは集団の最後尾だ。
エレベーターに乗り込み、あなたは30階のボタンを押した。取引先のオフィスがある階だ。扉が閉まり、エレベーターが昇っていく。しばらくすると、あなたは奇妙なことに気がついた。あなた以外の人は、全員-そう、全員-扉に背を向けて立っているのだ。最近は入り口と出口が別のエレベーターというものもあるが、彼らが顔を向けている方向には、扉らしきものはない。もしかしたら、このビルでは扉に背を向けて乗るのがルールなのかもしれない。すぐ降りるならよいのだが、30階に到着するまで少し時間がかかりそうだ。
さて、あなたならどうしますか?いま『インターネットの心理学』という本を図書館で借りてきて読んでいるのですが、これと似たような実験(というよりイタズラ)を、海外のテレビ番組が行った事例が紹介されています。その結果、被験者(イタズラの被害者)は集団に同調し、扉に背を向けて立つことを選択したそうです。
僕は心理学を学んだわけではないのですが、人間には誰しも、「集団の一員として行動したい」という心理があるそうです。何となく分かる気がしますよね。誰でも、特に日本人は集団の「和」というものを乱したくないものですし、社会に反抗しているような若者が、逆に暴走族のような強固なヒエラルキーを持つ集団を形成する例もあります。多くの人々が行っている行動があれば、それが一見おかしく感じられても、何となく従ってしまう-エレベーターの実験をされて、一人でも扉の方を向いて立っていられる人は、そう多くないのではないでしょうか。
何でこんな話をしているのかと言うと、『インターネットの心理学』に書かれた様々な事例を読んで、イントラブログがもたらす可能性のある「負の部分」にも目を向けなければいけないのでは?と感じたからです。イントラブログセミナーでは、イントラブログがもたらした「成果」の1つとして、「集団内で合意形成するスピードが早くなった」ことが挙げられていました。しかし合意形成が早くなったことは事実としても、その中身はどうだったのでしょうか?
イントラブログは、集団の各メンバーが持つ意見を明確化します。これまではどのメンバーがどんな意見を持っているか、会議やメールのやり取りを重ねることで把握するしかありませんでした。しかし各自が意見をブログで発信するようになれば、何が多数意見なのかすぐに把握することができるようになります。もしかしたら、合意形成が早くなったのはディスカッションのスピードが上がったからではなく、「僕の意見は少数派なのか。別に自分の意見に固執してるわけじゃないし、多数派の意見に鞍替えするか」という心理が働いた結果なのではないでしょうか?
「他人の意見に流される」ならまだしも、もっと悪いことが起きる可能性もあります。別の心理学の実験によると、同じ意見を持つ人間を集めてディスカッションさせると、集団として形成される意見は、各個人が持つ意見よりももっとラディカルなものになる傾向があるという結果が出ているそうです(他人が自分と同じ意見を持っていることに安心し、自分の意見をさらに大胆にさせていく、という心理が働くのだとか)。これを「集団成極化」と言い、以前にご紹介した「サイバーカスケード」という現象も、これに似た集団心理だと言えます。(心理学者じゃないので、専門用語の細かい定義について誤っていたらご容赦下さい。)
イントラブログでこの集団心理が働いたらどうなるでしょうか。ある問題について、たまたまAという意見が多数派だったとしましょう。実はBという意見の方が正しい結果を生むのですが、Bは少数意見です。イントラブログにより、意見Aが多数派であることが分かり、意見Aを支持するメンバーは考えをエスカレートさせます。意見Bを支持する少数派は、争いをさけて多数派に同調し、意見Aを支持するグループはさらに大きくなります。結果として意見Aが採用されるだけでなく、もっと過激な意見Cとなり、マイナスの結果をもたらす危険性が高まった-最悪、こんなケースに陥る危険性もあります。
実際、『インターネットの心理学』には、これに似た実験が紹介されています。ある集団に対して、3人の候補者の中から1人をあるポジションに採用するように求め、ディスカッションはネットを通じて行うように指示しました。しかしディスカッション参加者全員に同じ情報が与えられていた訳ではなく、あるメンバーには応募者Aの長所が、別のメンバーには応募者Bの短所がといった具合に、断片的な情報がランダムに与えられていました。その結果、もっとも望ましい候補者は落選し、望ましくない候補者が選ばれるという決断が下されたそうです。ある候補者の長所に関する情報が共有される傾向が強まると、その人物に対する短所の情報を共有しようという傾向は弱まり、他の候補者の短所情報を共有する傾向が強まるというのが、この実験の最中に見られた現象でした。
もちろんイントラブログはただのツールであり、使い方次第では良い効果を生む可能性があることは確かです。上記のような現象も、何もイントラブログに限った話ではなく、これでイントラブログを否定するつもりはありません。しかし集団心理をよく理解していなければ、危険な方向へ意見を集約してしまう可能性があるのも事実です。特に「意見を戦わせる」という訓練が不足している日本人にとっては、IT技術が集団成極化を促す危険性は高いのではないでしょうか。
イントラブログというツールを本当に価値のあるものとして使うためには、単に仕組みだけを用意するのではなく、建設的なディスカッションが行われるようなルール作りをしたり、イントラブログによって形成された意見や決定がどのような結果を生んだのかという「定性的効果」を測る仕組みを造るなどの努力も必要なのではと思います。
(今日の投稿はイントラブログに対するDevil's Advocateとしてご理解下さい・・・しかしCreating Passionate Usersの記事で、Devil's Advocateなんかするな!って書かれてたっけ。以後気をつけます。)
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