今朝の日経新聞に、もう1つ面白い記事が掲載されていました。先日からスタートした「ねだんの力学」という特集の第3回目で、今日の記事では映像・音楽配信がテーマになっています:
ねだんの力学③ 映像・音楽配信 手ごわい無料の「常識」(日本経済新聞2006年1月12日朝刊、第11面)
記事の中にこんな一文があります:
「いくらなら映像配信サービスを利用しますか」。東映などが昨年9月設立した映像配信会社、シネマプラス(東京・中央)がサービス開始前に実施した調査結果を見て折坂哲郎社長は「軽い目まいを覚えた」。回答の大半は「0円」。経費が見えにくいネット流通の難しさを痛感した。
映像・音楽配信は市場の立ち上げ期ということに加え、業者間の競合もあり、各社はユーザーへの浸透を意識した価格(=低価格)を設定することを余儀なくされています。それに加えて、ユーザーの間に「デジタルコンテンツは無料であるべき」という意識があるのならば、業者はさらに価格を引き下げることを迫られるでしょう。どんどん下がる価格が、さらにユーザーの「デジタルコンテンツ=無料」という意識を煽るという悪循環に陥ることも考えられます。
価格戦略はそれだけで一冊の本が書けてしまうくらいなので、深い分析をするつもりはないのですが(してもボロが出るだけなので)、こういった消費者心理を無視して値付けすることはできないでしょう。いくら業者が「1本の映画を作るまでに○○と○○という費用が発生して・・・」と説得したとしても、ユーザーがデジタルコンテンツをダウンロードすることに対して、価格に見合う価値を見出さなければ「だから何?」と言われて終わりです。
もはや、デジタルコンテンツを「売る」という発想は捨てるしかないのかもしれません。考えても見れば、PCの中にしか存在しない架空のファイルに原価を見出せ、と言われても無理な話です。それならば、原価が見やすい形にコンテンツを加工して売る、という方が無難でしょう。デジタルコンテンツは、「原価を見える形にしたコンテンツ」を売るための宣伝(もしくは広告を呼び込むための媒体)と捉え、無料あるいは安価で配布してしまえば良いのです。
この発想の正しさは、映画のDVDを見れば一目瞭然です。レンタルビデオ店で借りれるDVDを「レンタル版」として映画本編だけを納め、セルDVDでは「豪華版」と称して「豪華パッケージ+DVD2枚組み+メイキング/削除されたシーン収録」といった形式にする、という戦略を取る映画が増えています。メイキングシーンなど追加コンテンツがあることが差別化となっているわけですが、「豪華なパッケージに入れる」という点も、ユーザーを「これはお金を払う価値のあるものだ」という意識にさせる上で重要なポイントでしょう。
なんだか、門外漢の勝手な意見みたいになってしまいましたが。バンダイが「ロボットアニメのスポンサーになってプラモデルを売る」というモデルでずっと昔から生き残ってきたことを思えば、そろそろみんな「デジタルコンテンツは無料で配信」という意識になってもおかしくないと思います。
<追記>
CNET Japanで森祐治さんが映像配信ビジネスモデルについて詳細に解説されていたので、恥ずかしながらトラックバック:
日米で異なる映像配信ビジネスモデルの行方(CNET Japan)
映像配信ビジネスモデルを「広告型(TV放送と同じスタイルを取り、広告収入に頼る)」と「ロングテール型(ロングテール部分から収益を上げることに賭ける)」という2つの形式に分類した上で、マスメディアとロングテールがお互いを補完しあうような、クロスメディア的な仕組みを構築することが望ましいと述べられています。
記事で指摘されているように、問題は広告型とロングテール型のどちらが優れているかといった二者択一ではないでしょう。しかし映像配信などデジタルコンテンツの配信事業において、ロングテールが有効だとは簡単には言えないように思います。何を心配しているかというと、今日の記事(ネット配信は音楽の価値を下げる?)でも書いたように、消費者はデジタルコンテンツの価値を正しく認識しないのではないか、という点です。森さんはロングテール型モデルを「十分な価値を持ったコンテンツに対して対価を払うことを前提としたサービス」と捉えられていますが、もしそうだとしたら、「デジタルコンテンツでは、払われるべき対価(すなわち原価をペイするような単価)よりも低い価値を人々は見出す」という現象が起きた時点で、ロングテール型モデルは崩壊してしまうことになります。
BtoC分野のロングテールで成功した企業の代表例であるAmazonは、書籍という実体のあるものを売る企業です。Amazonの成功と、iTMSが市場を席巻している中でのAppleの音楽配信事業を例に挙げて、デジタルコンテンツ配信におけるロングテール型モデルの成功を論じるのは難しいのではないでしょうか。だからと言ってGoogle Video Storeが成功しないと言うつもりはありませんが、ユーザーがデジタルコンテンツの価値をどう見出すのかという視点も欠かせないのでは、と思います。
ここの根底にあるのは、日本テレビと電通が確立したテレビ放送のモデルが影響しているのでしょうね。「水と空気と情報はタダ」という日本特有の文化です。その文化も、いつしかPETボトルのミネラルウォータの一般化(浄水器などもそうですね)、空気清浄機市場の確立、といった感じで変化していく可能性はありますよね。
そうはいっても、情報でお金をとるのは、いまだ大きなハードルが存在するわけですが、収納のシステムが整備されるようになれば小額課金が容易にできるようにはなると思います。(iモードの課金システムなどがいい事例ですね)
このエントリでご指摘があったように、どこに価値をつくり訴求するかということがポイントなのでしょう。アクイジションとしての無料サービスによる市場形成以外にも活路はあるような気がするのですが…
投稿情報: p-article | 2006/01/13 09:44
そうですね、確かにTVのアナロジーで考えると分かりやすいかもしれません。アメリカに住んでいた時に、ケーブルテレビが普及していて「お金を払ってテレビ番組を観る」という概念が一般的だったことに驚かされましたが、「画面で見れるもの=無料」という概念が自分に染み付いていたからだと思います。
その概念を変えていけるかどうかが、デジタルコンテンツ配信の要かもしれません。僕自身は悲観的なのですが・・・しかしおっしゃる通り、小額課金のシステムを確立するなど、インフラが人々の意識を変えて行く可能性はあると思います。宣伝という形で他の「課金ポイント」に導く入り口、と割り切るだけでなく、デジタルコンテンツ自身の価値を上げる方法も模索してみるべきですね。
投稿情報: アキヒト | 2006/01/13 11:11
>>デジタルコンテンツは「売れる」のか?
これは多くのCPがもつ共通の課題なのでしょうね。圧倒的な資本力により既存のビジネスモデルがどんどんくずれている中、有償や→無償といった流れでどうやって存続するかと、同時に無償→有償というモデルも可能性を追究すべきと考えています。よく、無償→有償というもでるなんてないということを耳にしますが、ヤフーの目玉コンテンツであるオークションなどはその好例かもしれません。これは独占的なポジションでないと成立しないわけですが、見習うモデルだと思います。あと、わたしがよく例にだすものとして、104(電話番号案内)があります。若いヒトは知らないかもしれませんが、これって無料だったんですよね。必要なことにはお金を払うというのが大原則です。その代替手段があるかどうか、簡便な収納システムが提供されているかどうか、このあたりを考えるといいのかもしれません。
投稿情報: p-article | 2006/01/13 16:55