紙が発明され、普及するよりも前。古代中国では、竹簡がメディアとして使われていました。縦長の竹簡を手にとって何かを書くとすれば、自然と文字は縦書きに。そんなところから、縦書きというスタイルは生まれてきたそうです。些細な話ですが、人間が思考する際に使う技術が、いかに人間自身の行動を変え得るかを象徴的に示している例と言えるでしょう。
時代は流れ、いまや人間は無数のメディアや技術を通じてものを考えるようになりました。PCやスマホ、無数のソフトやアプリ、そしてインターネット――こうした技術が私たちの「思考」をどのように変えつつあるのかを考える一冊が"Smarter Than You Think: How Technology is Changing Our Minds for the Better"です。著者はニューヨーク・タイムズ・マガジンおよびWIREDでコラムニストとして活動するクライブ・トンプソン氏。
副題に「いかに技術が私たちの思考を良い方向に変えているか」とあるように、本書は基本的に、変化を良いものとして捉えています。冒頭に登場するのは、おなじみカスパロフvs.ディープブルーのチェス対決(ちなみにこのネタは昨日の『シグナル&ノイズ』でも取り上げられています)。ご存知のようにこの対決は、最終的にマシン(ディープブルー)側の勝利で終わるのですが、本題はその後。次にカスパロフは、人間とコンピュータ(プログラム)が対立するのではなく、タッグを組んで別のチームと対戦する「アドバンスド・チェス」に挑戦します。対戦相手となったのは、人間vs.人間の戦いでは1ヶ月前にストレート勝ちしていたベセリン・トパロフ。ところがアドバンスド・チェスのルールでは、カスパロフチームはトパロフチームと引き分ける結果となったのでした。
カスパロフは後に、この体験について「優れたF1ドライバーが自分のマシンを熟知しているように、私たちも自分のプログラムがどう動いているのか、よく理解しておく必要があった」と評したそうです。コンピュータが人間の思考の一端を担うようになった瞬間に、そのあり方はガラリと姿を変えるわけですね。F1ドライバーがレースに勝つためには、いくら走る練習をしても意味がないように(体を鍛えるという点では十分に意味がありますが)、機械を使って何かを考える際には、それをどう使いこなすかの方が重要になってくるわけです。そして人間個人を見た場合、「走る」という能力の点では以前より劣ってしまっているかもしれませんが、人間+F1というトータルで見た場合には、比べものにならないほどの進化を遂げていると言えるでしょう。
これと同じ状態が、他の思考領域でも生まれている様子を本書は追っていきます。例えばトンプソン氏は、カスパロフの書いた"How Life Imitates Chess"(邦訳『決定力を鍛える』)をアマゾンのキンドル上で読んでいたそうなのですが、「ポピュラーハイライト」(他人がつけたハイライトを集約して、どこがハイライトの引かれる頻度が高い場所か=他の読者が重要だと思っている場所かを教えてくれる機能)を通じて他人がどこを注視しているのかを知ることで、当初は関心がなかった箇所に強く惹かれることになったそうです。かつても読書会などといった形で、他人がある本から何を感じたのかを知ることはできたわけですが、電子書籍はその体験をスピードアップして、より日常的なものに変えてくれるでしょう。そうなると、読書という思考作業は大きくその姿を変えることになります。
と書くと、「テクノロジーによって知性が破壊されるのではないか」と恐れる人が出てくるかもしれません。しかしそれはデジタル技術の時代に初めて現れた現象ではなく、ずっと以前から起きていたのだ、と本書は指摘します。ご存知の通り、人類が持つ情報量は、15世紀にグーテンベルクが活版印刷技術を完成させたことで、爆発的に増加することになったわけですね。それによって知識のありかたも、その拡散の仕方も大きく変わりました。ですが人類全体が愚かになるということはなく、むしろそれを境に、人間の持つ技術はますます進化していくこととなります。
実はこうした「メディア(技術)による思考の変化」という捉え方は、マーシャル・マクルーハンがメディア論で指摘したポイントでもあります。この点については、実は10月に出版した本でも解説しているので、よろしければ是非(宣伝):
ということで"Smarter Than You Think"に戻りましょう。本書で面白いのは、こうした外部に依存する思考というものが、技術だけに限らないということを指摘している点です。例えば長年連れ添った夫婦は、お互いがお互いの記憶を補っているような状態になるのだとか。これも特に不思議な現象ではなく、「熱海へ旅行したのはいつだったっけ?」「1970年だったじゃないかしら。あの時はお父さんがほら、どこかで転んで」「あぁ、ホテルの階段で。あの時は大変だった」というように、お互いがキューを出し合うことで記憶が蘇るという現象、どこかで目にしたことがあるでしょう。その意味では、人間は文字通りの「外部記憶」にずっと昔から頼ってきたことになります。
ただ外部記憶がどのような性質を持つかで、私たちの思考のあり方は変わります。だからこそ、「F1ドライバーが自分のマシンを熟知しているように」、私たちも自分の思考の一部となっているツールを熟知する必要があるわけですね。そちらの方が、「テレビやゲームでバカになるかもしれない!」と心配するよりも、ずっと建設的な行為でしょう。例えば過去のデータベースから次の一手を割り出すようなチェスプログラムに、まったく新しい一手を期待することは間違いです。しかし「このプログラムから出てくるのは過去のデータでしかない」ことを理解した上で、人間としてクリエイティビティを補足してやるような使い方をすれば、このプログラムと人間のペアは最高のチームになるはずです。
他にも本書には、人間の脳や思考パターンの特徴と、新たに登場しつつあるテクノロジーの特徴が数多く取り上げられており、これら2つの存在の関係から何が生まれてくるのか、どんな役割分担をすれば"Smarter"になれるのかが考察されています。例えば「観客」の存在を意識することで、学習の効果はより高くなるのだとか(「あの人にも教えられる/上手く伝えられるようにならなくちゃ」と考えながら学ぶようになるわけですね)。だとすれば「一日の終わりに学んだことをブログにまとめて、世界の人々に教えてあげましょう」と指示することが考えられる、といった具合です。
これも実は、ずっと前から認識されてきたテクニックだったりします:
Sir Francis Bacon figured this out four centuries ago, quipping that “reading maketh a full man, conference a ready man, and writing an exact man.”
フランシス・ベーコン卿は4世紀も前にこの点を理解していて、こんなことを言っている。「読むことは人を豊かにし、話すことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする。」
この格言は様々な訳し方があるようですが、いずれにしても「書くこと」の力を認めたものでしょう。単に頭の中で分かったつもりになるのではなく、それをアウトプットしてみる。そのためのメディアとして、ベーコンの時代には「書く」ことが使われたわけですが、現代であればブログやソーシャルメディア、そしてユーチューブや3Dプリンター(!)など様々なメディアが考えられるはずです。
具体例はさておき、本書はこれからの「人間+テクノロジー」というチームの可能性を感じさせてくれる、非常に楽しい本でした。ちょうど新しい年を迎えるところですし、たまにはこんなポジティブになれる本も良いのでは。
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