夏休み読書週間ということで、今回は猪瀬直樹著『作家の誕生』を読みました。単に昨日の NBonline で紹介されていて(こちらの記事)読んでみたくなっただけなのですが。
簡単に言うと、同書は明治以降の日本において、「作家」という職業がどのような歴史を歩んだかを解説しています。ただ、昭和に入ってから(具体的には芥川龍之介の死以降)は太宰治・三島由紀夫の二人に焦点を当てるかたちになっているので、文学史というより作家研究に近くなりますが。僕が興味を持ったのは前半、まさしく「作家の誕生」が描かれている部分。雑誌という新しいメディアがどのように成長し、そこを活動の場とする「作家」という職業がどのように成立したのかという流れが、いまのブログ時代を考える参考になるのではないか……と感じました。
冒頭部分、こんな文が掲げられています:
二十一世紀は情報通信革命の時代と言われる。
だがインターネットに代表される新しいネットワークの原型は、
二十世紀初頭に形成されていたのである。
情報発信の意欲は、百年前もいまも変わらないのだ。
(14頁)
ここで指摘されているように、前半部には、雑誌を通じて自分の作品を世に出したいという人々の姿があちこちに登場します:
『女子之友』の読者は単なる購読者ではない。この時代の雑誌経営の例にもれず投稿を主体に成り立っていた。したがって東京の良家の子女たち、地方名望家の子女たちが、和歌や随筆、あるいは樋口一葉をまねた擬古文の小説などを投稿する。投稿には特等や入選、佳作などのランキングが付された。佳作であろうと、自分が投稿した小品が掲載されているかどうか、雑誌が送られてくるやいなや胸をときめかせてページを開くのである。
(16頁)
インターネット利用者数は8500万人に達した。3人に2人。日本列島は蟹のように吹き出す言葉の泡で埋めつくされんばかりだ。
しかし、言葉を媒体で伝えようとする意欲はいまにはじまったことではない。明治時代に今日風の雑誌が誕生したが、有力作家や有力論客の文章を載せつつ、後半の4割ほどのページを投稿欄にあてた。読者を確保するための営業政策である。
(37頁)
1898年生まれの井伏鱒二も福山から上京した。井伏は『荻窪風土記』で大正末年の東京の青年たちの姿を、こんなふうに評している。
「当時、東京には文士志望の文学青年が2万人、釣師が20万人いると査定した人がいたそうだが、文学青年の殆どみんな、一日も早く自分の作品も認めてもらいたいと思っていた筈である。早く認められなくては、必ず始末の悪い問題が起こって来る。私も早く認めてもらいたいと思っていた」
(101頁)
など、「情報発信の意欲は、百年前もいまも変わらない」わけですね。もちろん現在は雑誌社という第三者を通じなくても、ブログ等のツールで自由に情報発信できるわけですが、なるべく読んでもらいたい・反応が欲しいという点は同じでしょう(もちろん独り言と同じレベルで十分、という気持ちの方もいらっしゃるでしょうが)。雑誌はそんな読者/作家予備軍を礎としていたのでした。
当然ながら、「何かを訴えたい!」という人々だけではマーケットは大きくなりません。発表された作品を読む人々が必要ですが、これについても同書では様々な出来事が紹介されています。
- これまで雑誌を読まなかった人々をターゲットとした作品/雑誌の登場による、雑誌購読者数の増加
- また1冊1円という「円本」などの登場による、単行本読者の増加
- 菊池寛による「小説家協会」創設の試み(作家支援の動き)
- 人気作家を広告塔とした、記念講演の実施/宣伝映画の作成
- 文学賞の登場
こうした流れを経て、文学はマーケットとして成立し、文章を書くだけで生計が成り立つ人々=作家が誕生したわけですね。さてさて、歴史を無理に現代にこじつけてはいけませんが。雑誌が作家という職業を生んだように、ブログは(職業としての)ブロガーを生むのでしょうか?
現在の状況は、夏目漱石ですら「教師を辞めて作家専業では食えない」と感じていた、明治末期と同じと言えるのではないかと思います。「作家の誕生」を元に考えれば、これから様々なかたちでブログを利用する人々が増加し、ブログがマーケットとしての魅力を高めていく=様々な形で収入を得るブロガーが増え、ブログを活動の中心に置く人々も増える……と想像できるでしょう。またアジャイルメディア・ネットワークなどといったブロガー支援の登場は、「小説家協会」創設の試みに擬えられるかもしれません。もちろん雑誌と違い、ブログを購読するのは無料ですから、ブロガーが読者から直接的な収入を得るわけではありません。しかし、例えばブロガーが得る広告収入が増えたり、またブログによって知名度を上げて様々な活動を行う(それによって収入を得る)などというケースは十分考えられるのではないでしょうか。
猪瀬氏はあとがきで以下のように述べています:
インターネットの隆盛はもはや説明がいらない。誰もが表現者である。だが、剥き出しの感情が表出されたとしても、それは泡のごとく消えていくだけで文章を読んだことにはならない。
(中略)
いまそこにある出たばかりの本や、インターネットのブログは、ただ実感で読んでいる。学生も大人も、女子高生も主婦も、みな実感を主張し合って、じつは行き違っている。
確かに現在のブログは玉石混淆で、「剥き出しの感情表現」といった感じのものもあります。しかし雑誌というメディアが登場した当時も、オトナたちは「何やら軽いメディアが登場して、世間知らずの若者たちが群がっている」程度の認識だったのではないでしょうか。ブログが登場して、まだまだ数年。ブログを中心に活動する人々=ブロガーの誕生は、いつか歴史として語られるのではないかと思います。
【余談】
『作家の誕生』によれば、「クチコミ」という言葉を作ったのは大宅壮一氏なのだそうです。知らなかった。
テレビの俗悪振りを「一億総白痴化」と言ってみたり、その一方で電子媒体が活字を追い越すだろうと予測して口舌の影響力を「クチコミ」と表現したり、オリジナルな造語で現象を分析しようと試みた。
「クチコミ」はその登場当時から、デジタルが力となることが想像されていたのですね。
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