とりあえず説明は抜きにして、まずはこちらのゲームをどうぞ:
■ Door Game
ゲームは2回行われます(インストラクションが2ページ表示された後、ゲームスタート)。スタートすると以下のように、3つのドアが表示されると思います:
クリックするとドアは開き、開いた状態でもう1回クリックすると、以下のようにスコアが表示されます:
ここに表示されたスコアがプレーヤーの得点となり、総合得点をできる限り大きくするのがゲームの目的です(クリックは50回まで可能)。スコアは一定の順序に従って、毎回違うものが表示されるのですが、スコアがどんな並び方をしているかは明かされていません。あまり良いスコアが出ないな、と思ったら別のドアをクリックするのも自由です(ただしその場合、開いていたドアは閉じてしまいます)。
1回目と2回目のゲームには大きな違いがあります。それは、「選択肢が残るか否か」。1回目のゲームでは、クリックされないドアは次第に小さくなっていき(上のスクリーンショット参照)、10クリックされる間に選択されなかったドアは消えてしまいます。2回目のゲームではドアが縮むことはなく、最後まで3つのドアをクリックすることができます。
……だいたい分かりましたか?それでは時間のある方は先を読まずに、実際にプレイしてみて下さい。
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結果はどうだったでしょうか?1回目と2回目、どちらが別のドアに乗り換える(他の選択肢を試す)回数が多かったですか?
プレイしてみれば分かると思いますが、このゲーム、「浮気」すればするほど不利になります。つまり「やっぱりこっちのドアの方がいいかな?」と思って別のドアに移ると、クリックを1回分損しますよね(スコアは開いた状態のドアをクリックしないと入ってこないので)。従って「このドアでいく」と決めたら、それをクリックし続けた方が得なわけです。他の選択肢がなくなろうとも。
しかし実際はというと、1回目のゲーム(選択肢が消える状況)では、ドアを乗り換える回数が多くなる傾向があるそうです。これは選択が狭まることへの恐れ、つまり「たとえそれを維持するのに代償が必要でも、選択肢がなくなるのは耐えられない」という人間の心理の現れなんだとか。例えばそれを将来使わないことが明らかで、持っていれば保管するコストがかかるのに、ずっと古い○○(何かはご自由にご想像下さい)を捨てられないでいる――というのも同じ心理で説明できるとのこと。
というのが、New York Times の記事で解説されていました:
■ The Advantages of Closing a Few Doors (New York Times)
上の「ドアゲーム」のページを見てお気づきかもしれませんが、MIT の Dan Ariely 博士が新しい本"Predictably Irrational: The Hidden Forces That Shape Our Decisions"を出版されたとのことで、その内容と絡めた話になっています。博士はドアゲームの実験を通して、たとえMITの学生(つまり論理的な思考ができるはずの人)であっても、「選択肢が消えるという状況ではドアを乗り換える回数が多くなる」ということを確認したそうです。
また面白いのは、「ドアが消えたとしても、いつでも復活できる」という条件を追加した場合。つまり将来における選択肢は残されたままなわけですが、この場合でもプレーヤーは「ドアを維持する」という行為に走ったとのこと。つまり将来の可能性云々、の話ではなく、人間は「目の前にある選択肢が消える」ということに耐えられないのだ、というのが Ariely 博士の解釈です。
もちろん選択肢が多いのが良い場合もあるのですが、ここでのポイントは「消えることに対する不安」から理性的な判断ができなくなるという点。それには「このプロジェクトにはこれまで多くの時間と労力を費やしたのだから」というサンクコストの罠、的な心理も働いているのかもしれません。いずれにせよ、ある選択肢を維持するのにどんなコストをどの程度払っているのか、また(たとえ一度は目の前から消えても)将来に復活させることは可能か否か等を確認して、感情に支配されることのないよう注意が必要なわけですね。
また記事では項羽の「背水の陣」の逸話が紹介されているのですが、時には自らオプションを放棄して、決めた路線一直線に集中してみるというのも良いかもしれません。少なくとも「こっちのドアはどうかな?」なんて浮気心を出す時は、それには隠れたコスト(家庭崩壊の危機!?)があることを認識しなければいけませんね。
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