たまにはタイムリーな話題の本を、ということで『官邸崩壊』を読んでみました。副題に「安倍政権迷走の一年」とあるように、安倍政権発足直前から、参院選で大敗を喫するまでの約1年を追ったもの。もうこれ以上ない、ってくらいタイムリーな内容。
まず免責っぽいことを言っておくと、この本がどこまで真実に迫っているかは分かりません。もしかしたら、安倍晋三という政治家を陥れる意図を持って書かれたものという可能性もあります。そう勘ぐってしまうぐらい、この本で描かれる状況は「そんなバカな話が?」「そんな初歩的なミスを?」といったもののオンパレード。安倍氏にとってプラスとなる内容はほとんどありません。従ってここから先の話は、「同書で描かれている状況がすべて真実であるとした場合」という前提でお読み下さい。
安倍政権がなぜ崩壊し、最後には前首相自身まで壊れてしまったのか。『官邸崩壊』では、いくつかポイントとなる要因が繰り返し登場します:
【目的と手段のはき違え】
歴史に名を残す――。そのためには自分の内閣は本格的でなければならない。その内閣で憲法改正をやり遂げよう。少なくとも着手しなくてはならない。さもなくば、安倍晋三という名が歴史に刻まれることはない。
偉大さに捉われた瞬間、安倍の仕事は、政策遂行ではなく、政権の長期存続へと変質する。自民党総裁任期いっぱい2期6年の任を全うする、それ自体が彼の目的となる。(25ページ)
【不適材、不適所】
つまり塩崎は、調整能力が待たれる官房長官という役職にあって、政策能力を誇示する人物だった。
その塩崎が官房長官に就任した時、政治記者たちから一斉に警告が発せられた。これで官邸は機能しないだろう。次期政権は必ず行き詰まる。彼ほど調整役に向かない人間はいない。つまり、安倍は人選を間違ったと言いたいのだ。(55ページ)
【側近政治】
塩崎を筆頭とする官邸に配置されたこうした安倍側近は、のちに「チーム安倍」と呼ばれることになる。その名にふさわしく、見事なまでに安倍に近しい人物が揃えられた。
発足直後、「塩崎官房長官」に対してだけでなく、安倍政権の布陣を不安視する声は自民党からも聞こえた。だが安倍は、そうした声の主はきっと人事で欲求を満たされなかった者たちだろうと割り切る。なんと言われようと嫉妬ということで片付ける。(55ページ)
【危機感の欠如】
危機感の欠如、それはこの政権を覆う共通の空気であった。損失を最小限に食い止めるため、即座に手を打つという戦略が採用されることはまずない。誰もが早々と自分とは無関係であると結論付け、第三者の余裕で事の成り行きを見守る。成功に対しては異常なまでに執着するが、失敗が迫り来るとそろって目を瞑る。そして危機が直前にまで来たときになって、ようやくその重要性に気付くのだ。もちろんその時には手遅れである。(94ページ)
……とまあ「あってはならない組織」の典型例ばかり。上に挙げたのは繰り返し登場するポイント(例として引用したのはその代表例)だけで、「この運営はマズいよなぁ」と感じる部分は数多くあります。そして、こうした問題の中で最も深刻だったのは、次で引用するような【旧システムに対する理解の浅さ】ではないでしょうか。
なぜ安倍は事務副長官の人事に手を突っ込んだのか。正気の沙汰ではない。霞ヶ関全体に対する宣戦布告か。これで役所は動かなくなるだろう――当日、的場就任のニュースを聞いた役所での会話である。
早速、役人のサボタージュが始まる。事務副次官である的場が仕切る事務次官会議で重要な情報が話し合われることがめっきり減る。そもそも大蔵省時代、的場は主流派ではない。次官にすらなれなかった男が官房副長官になるなど、霞ヶ関のルールではあってはならないことなのだ。(45-46ページ)
***
だが、不幸にも、その任に当たるべき井上は正しい検査方法を知らなかった。しかし、こののちにも、続々と大臣スキャンダルに見舞われた際、井上に対する同情の声が上がらなかったことは驚くに値しない。なぜなら、安倍内閣の発足前、彼が就いていたポストこそ、最も「身体検査」を行うに適した役職だったからだ。
(中略)
秘書経験の浅い井上は、「身体検査」の方法を知らないばかりか、誰かに相談することもなかった。同様に、安倍事務所の古参秘書たちも、まだそうした準備ができていなかった。自分の代議士が、あまりに早く最高権力の地位を掴んだことの弊害はこんなところにも現れていた。いよいよ安倍政権が発足した時、井上は、素人のようなおざなりな検査でお茶を濁した。安倍には、井上の検査が正しかったかどうか確かめる術はなかった。なぜなら安倍もまた、そうしたことに対して不案内だったからだ。(91-92ページ)
***
残念ながらチーム安倍の中に、こうした官僚の横暴に対決する政治力を持った人物はいなかった。塩崎や渡辺の着手した公務員制度改革は、小泉政権ですら手をつけられなかった禁断の改革だ。それは郵政の比ではない。霞ヶ関全体が敵となって襲いかかってくる究極の改革に、安倍官邸は立ち向かうだけの充分な準備をしていなかった。的場を官房副長官に据えたことをはじめとする、霞ヶ関の強力な官僚機構への対抗システムは起動していなかったのである。(149ページ)
小泉政権時代と同様に、安倍政権下でも「古いシステム」に対する攻撃が行われました。それ自体はまったく正しいことであり、「旧システムの反撃を恐れるあまり何もしない」などということがあってはならないでしょう。しかし古いシステムを壊したいなら、それに取って代わる新しいシステムを用意しておかなければなりません。新システムが手元にないのであれば、旧システムの動き方を熟知した上で、それを自らの意図に沿って動くように微調整しなければならないでしょう。ところが「チーム安倍」では、古いシステムの理解も、新しいシステムの構築も、どちらも行われていなかったわけです。その結果、いま現在稼働している強力なシステムによって、まだ設計図でしかない理念が粉々にされてしまう……という状況が起きたのではないでしょうか。
政治の世界に限らず、何か新しいことをやり遂げるために、チーム一丸となって働くというのは簡単なことではありません。上記のような過ちは、問題の大きさという点で違いはあるものの、常に私たちの身の回りに存在しているものでしょう。「人の振り見て我が振り直せ」ではありませんが、この本は様々な分野で最良の(?)反面教師となってくれると思います。日本最高のチームであるべき「官邸」が崩壊したという、希有な事例なのですから。
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