「○○革命!」などというキャッチフレーズが付くものにろくなものはない。本書『ルポ 米国発ブログ革命』が平積みされているのを見たときにも、最初に感じたのはそんな気持ちでした。しかもいまさら「米国発」の「ブログ」の「革命」って。無視してしまおうかとも思ったのですが、ちょうど日経メディアラボさんの『進化するブログ』を読んだ直後だったこともあり、まぁ参考に読んでおくか(新書だし)程度の考えで購入したところ……正解でした。ジャーナリズムとしてのブログ/ソーシャルメディアの可能性と、従来型ジャーナリズムの将来、そして両者の融合の可能性ついて興味のある方は、読んでおいて損はない一冊です。
本書で取り上げられている事例は、この分野をフォローしている方々にとっては決して目新しいものではないかもしれません。Daily Kos などの政治ブログ/市民ジャーナリズムの盛り上がりや、lonelygirl15 が浮き彫りにした「CGM的手法」の問題点、そして New York Times や Washington Post といった既存メディアの中でも先進的なプレーヤー達の取り組みなどなど、一度はネットで見聞きしたことがあると感じる話が多いでしょう。しかし著者の池尾伸一さん(中日新聞で記者をされているそうです)はきちんと現地を訪れて取材し、いったいどんな経緯でそういった変化が起きているのかを追ってくれます。その解説を通じて、細部であるが故にこれまであまり知られることがなかった、しかし重要な側面といったものを読み取ることが可能になっています。
例えば、ブログ形式のニュースサイト"Talking Points Memo"のケース。主宰するジョシュア・マーシャル氏が司法長官の疑惑を追及していた時の話です:
あるとき、司法省が民主党の要求に応じて、内部メモや内部文書のコピーを議会に提出した。ところが、分量は600ページもある。百科事典一冊分ぐらいの厖大な情報量だ。これを分析しようとしたマーシャルは従来のメディアでは考えられない手法を取った。読者の手を借りたのである。マーシャルは全体を10のパートに分け、常連の読者数十人にその日のうちに読んでもらい、新しい内容や問題箇所があれば、その点をメモにして送ってもらうように頼んだ。熱心な読者達は目を皿のようにして文書を読み、問題箇所を探し出した。
同じような嫌がらせ行為は日本でもあり、「紙爆弾」などと揶揄されているそうですが、ブロガーたちはネット時代だからこそ可能になった手法でこれに対抗したと。確かに従来のジャーナリズム手法から見れば、素人集団であるブロガーやその読者たちがマトモな調査報道を行うことなどできない、と考えるのが普通でしょう。しかし新たなツールには、それを有効に回す新たなシステムが生まれる可能性があることを、本書の様々な事例が教えてくれます。
一方で本書は、従来の類似書に見られるような「新時代を称賛して終わり」でも「新聞の凋落を悲観して終わり」でもない第3の視点を提供してくれます。それが、本書の最後で登場する「ネットワークド・ジャーナリズム」という概念。これはブログ"BuzzMachine"でお馴染みのジェフ・ジャービス氏らが提唱している考え方ということなので、彼自身のエントリを紹介しておきましょう:
■ Networked journalism (BuzzMachine)
I think a better term for what I’ve been calling “citizen journalism” might be “networked journalism.”
“Networked journalism” takes into account the collaborative nature of journalism now: professionals and amateurs working together to get the real story, linking to each other across brands and old boundaries to share facts, questions, answers, ideas, perspectives. It recognizes the complex relationships that will make news. And it focuses on the process more than the product.
これまで「市民ジャーナリズム」と呼ばれてきたものは、「ネットワークド・ジャーナリズム」と呼ばれるべきではないかと考えている。
「ネットワークド・ジャーナリズム」とは、ジャーナリズムの中にあるコラボレーションの側面を念頭に置いた言葉だ。プロとアマが協力して真実を探り、所属や古い境界線を越えて、事実や疑問、答え、アイデア、観点などを共有することである。そこには、ニュースを生み出す複雑な関係が存在する。そして結果よりも過程にフォーカスする。
つまり従来のような「プロ記者」「市民記者」という区別を捨て、皆の強みを出しながら協力し、ジャーナリズムを追求していこうという考え方であると。そうすれば調査力や文章力などの従来のメディアの力と、「市民の視点」や行動力といった新しいメディアの力の両方が発揮されるわけですね。以前観たNHK特集でも同様の主張をされている方がいて、個人的に強く賛同する考え方です。
少し長くなりますが、本書での解説も引用しておきましょう:
ジャービス準教授は、以前、インターネットを使ってジャーナリスティックな情報発信をする市民を「市民ジャーナリスト」と呼んでいた。しかし次第に、この呼び名は、情報発信者を「プロの記者」と「市民記者」に分け、無用な対立感情を招きかねず、不適切な言葉だと考えるようになったという。「プロの記者も情報発信する市民も、真実を見つけたいと思っている点では同じだ。それならば、協力して真実を追求する方策を見つけ出すべきだと考えた」と話す。
理屈の上では、調査や事実を確認する技術を持つプロのジャーナリストと、一次情報やさまざまな分野の専門知識を持つ市民が記事作りで連携できれば、より深く詳しい記事をより早く提供できるはずである。だが、新聞やテレビという一方的に情報を流すメディアでは、両者はうまく連携できなかった。しかし、双方向メディアであるインターネットメディアを使えば、両者が連携することは飛躍的に容易になる。このような両者の連携によって、報道の質を高めようというのが、ネットワークト・ジャーナリズムの基本的な考え方である。ベケットやジャービスの観察によると、すでにネットワークト・ジャーナリズムはいろいろなところでその姿を現しつつあるという。
そしてそういった例のいくつかを、本書で読むことができます。もちろんネットワークド・ジャーナリズムが全ての回答になるわけではないでしょうし、実現までには様々な壁を乗り越えなければならないと思いますが、「きっと新しい時代に適したジャーナリズムが生まれるに違いない」という希望を抱くことができました。新書なので分量に難はありますが、「ネットと新聞のこれから」を考える上でヒントを与えてくれる本だと感じましたよ。
ちなみに著者の池尾伸一さん自ら、「おわりに」で
「革命」という言葉にはいつもうさんくささがつきまとう。
と仰っています。うーん、この本、タイトルで何割かの読者を逃しちゃってると思うんだよなぁ。せめて「ネットワークド・ジャーナリズムの時代」とかにして欲しかった。
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